1392年(明徳3年)
中国明の時代、洪武帝の命を受けて来琉の久米三十六姓によって伝えられたといわれている。
那覇港近くの久米村を拠点に優れた造船技術と航海技術で、中国からさまざまな食文化を伝えたといわれている。 |
1404年(応永11年)
22回も来琉した冊封使により伝えられ、中でも1534年那覇の崇元寺へ献上した祭品の中に「粉湯」と呼ばれる料理が含まれていた。これが、麺類ではある可能性が高いといわれている。
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1902年(明治35年)
観海楼(かんかいろう)なる店が新聞広告で「那覇市警察署下に『支那そばや』開業」を打ち出す。辮髪(べんぱつ)の清国人だったこの店は「唐人そば」として人気がありたいそう繁盛していた。
しばらくして、コックの清国人『比嘉牛・ひがうし』が独立して観海楼の近くに『比嘉店』を開店。『ペェーラーそば』の名で人気がでる。
ペェーラーそばはたまごのひらやーちーで大評判。しかし、なぜか数年で店をたたんでしまった。 |
1913年(大正2年)
那覇市辻(当時の遊郭街)に『ウシンマーそば』が誕生。沖縄そばの具として始めて蒲鉾をのせ、目新しさが評判になって繁盛したといわれている。
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1916年(大正5年)
支那そばの表記を「琉球そば」に変更するように那覇署が指導を始める |
1920年(大正9年)
『ゆたか屋』開業。具材に紅しょうがを導入。だし汁にも改良を重ねしょう油味が主流だった黒いだし汁を塩を基調とした白いだし汁に、あっさりだし汁を開発、大評判となる。他店もだし汁の味をまねし始め、後の沖縄そばだしの原形といっても過言ではないだろう。 |
1925年(大正14年)
「2000杯を売る店」として、当時大人気だったのは『井筒屋』。カキ氷をはじめる。
この頃に、沖縄そばとカキ氷の切っても切れない縁が生まれたのかもしれない。 |
1929年(昭和4年)
『万人屋』開業。沖縄そばの他に、太巻き、いなり寿司を始め、大評判となる。そばの副食いなり寿司は、この店から始まったのかもしれない。
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1945年(昭和20年)
第二次世界大戦終戦。地上戦を体験した沖縄は多くの家、建物を破壊された。 |
1948年(昭和23年)
那覇の平和通りなどに大衆食堂が増え始め、『井筒屋』『万人屋』『三角屋』といった戦前の名店も国際通り周辺に店を再開。 |
1950年(昭和30年)
製麺所から沖縄そばが売り出される。自家製手打ち麺が主流だった沖縄そばが、気軽に家庭でも食べられるようになる。 |
1972年(昭和47年)
沖縄本土復帰。 |
1975年(昭和50年)
名護でソーキそば誕生。『丸隆(まるたか)そば』、『我部祖河(がぶそか)そば』のどちらも元祖という説あり。当時かなり評判となり、沖縄そばのバリエーションが広がる。
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1976年(昭和51年)
「そば粉が30%以上入っていないそばは『そば』の名称を使ってはいけない」と公正取引委員会より沖縄そばの名称についてクレームがつく |
1978年(昭和53年)10月17日
お国自慢の麺の名前が並ぶ「生めん類表記に関する公正競争施行規則」別表に特殊名称として「本場沖縄そば」と登録された。沖縄そばの名称復活の日なのです。 |
1997年(平成9年)
沖縄製麺協同組合が10月17日を「沖縄そばの日」に制定 |
2006年(平成18年)10月1日
沖縄県那覇市に沖縄そば博物館誕生 |