パイパティローマ

「波照間」という島の名は、
「はてのうるま」、 つまり、「沖縄のいちばん端にある島」という意味だといわれています。

ところが、島の老人たちは、

「いや、ここは沖縄の南の果ての島ではない。
じつはな、この波照間島のさらに南にもう一つ島がある。
その島は人のあらそいもない、平和で実り豊かなパイパティローマだ。」

というのです。

八重山の言葉で「パイ」とは「南」を、
「パティローマ」とは「波照間」を意味します。

つまり、「パイパティローマ」とは「南波照間島」ということになります。

伝承では、島の西のはずれにある屋古村(やぐむら)のアカマリという男が中心になり、 村人40~50人を率い、マーラン船(王府の運搬船)を奪って南の海へ脱出したといわれています。

琉球国は、明治になって沖縄県となりましたが、
明治25年1月、島の人たちから、「南波照間島へ行った屋古村の者達に会ってみたい。」
といわれた県知事は、さっそく海軍省に頼んで、その島を探してもらうことにしました。

海軍省は、沖縄から東南アジアにいたる海を調査しましたが、
結局、島を見つけることはできませんでした。

しかし、今でもなお、島の老人たちは、やはり自分たちの住む波照間島の南のかなたに、
自分たちと同じ血を引く者たちの住む 「南波照間島」という、平和で実り豊かな島があると信じているのです。