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石垣島の伝説と民話
石垣島に伝わる伝説や民話を紹介します。
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| 旧盆の日、あの世(グソー)からウシュマイ(翁)とンミー(姥)が、ファーマー(子孫)を連れて、家々を訪問し、あの世での様子などをいろいろと語り、踊りを奉納してくれる。八重山独特の旧盆行事である。 |
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南海山桃林寺では、毎年旧暦の7月7日(七夕)に十王図を展示して一般壇信徒に公開することは戦前からの恒例になっており、毎年公開されております。
ここに、十王図の説明書を記しますので、ご参考に供してください。 |
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五穀豊穣を神に感謝するとともに来夏世(くなつゆ)の豊作、地域住民の健康祈願をする祭りで、四カ字の豊年祭は、旧暦の六月に行われる郡内最大の豊年祭である。
四カ字とは、新川、大川、石垣、登野城の各字のことをさす。 |
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四カ字豊年祭の神事最後に行われる、女性だけの綱引、アヒャーマ綱。
いつも真乙姥御嶽の神様に海で働く夫の無事をお願いしていたがある日琉球王府からの帰りに遭難してしまった。
婦人の祈りが通じたからか、一年後無事に婦人のもとへもどることができた ... |
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| むかし、黒島にマーペーという美しいむすめと、カニムイというたくましい若者がいました。
マーペーもカニムイもともに一人っ子でしたから、小さい頃から姉弟のように仲良く暮らしていました。両親たちも気心の知れあった二人を夫婦にするのが一番いいと考えておりました... |
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今から300年ほど前のことです。琉球・八重山の宮良村に、大城師番という一人のまずしい役人が住んでいました。
ある日、師番が用事で島の西側にある名倉村へ出かけたとき、後ろ足を怪我した子馬が浜辺をさまよっていました... |
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昔、石垣島の北東部に野原村(ぬばれむら)という小さな村がありました。
ある日村の人たちが岬の下のさんご礁の海で漁をしていると、 今まで見たこともない不思議な魚が網に掛かりました。
体の長さは二メートル近くあり、上半身は人間そっくりで... |
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竹富島の伝説と民話
竹富島に伝わる伝説や民話を紹介します。
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むかーしむかし、犬は3本足で生まれてきました。
歩くことが非常に不自由で食べ物を探すのにも苦労していました。
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| 昔々、海のはるか彼方にあるニライカナイの国から、ニーラン神という神様が船に乗って竹富島にやってきました。
ニーラン神はたくさんの種籾を船に積んでおりました。上陸すると、竹富島の一人の神様に会いこういいました。「この島に種籾を持ってきた... |
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| 昔々、神様が八重山の島々を作ったとき、島には木が一本も生えておりませんでした。そこで、神様は八重山の島々を緑の島にするために、木々を呼び集めました。
まず最初にやってきたのが、福木。続いて、松が、桑が、少し遅れて、アダンと竹とクバがやってきました... |
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| むかし、ある村に、兄弟二人と母親だけのまずしい家がありました。
母親は、朝から晩まで休むことなく働いて二人の子供を育てていました。 弟は、そんな暮らしを少しでも楽にしようと、朝早くから起きて、ご飯の仕度や畑仕事の手伝いをする働き者... |
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| 十二支の子の方角(北)にある星を父星と言い、午の方角(南)にある星を母星と言います。
ある日、母星は子供を生みたいのだけれどどこで生んだら良いのかと天の大明神に相談しに行きました。 すると大明神は、しばらく地上を見渡して、竹富島の南に美しい珊瑚の海を見つけました... |
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小浜島の伝説と民話
小浜島に伝わる伝説や民話を紹介します。
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昔、あるところに、母娘二人で暮らしている家がありました。
その家の娘は、20歳を過ぎても家にいるばかりで、母親は「いつになったらお嫁に行くのやら・・・」と心配しておりました。そこで母親は、運命を見てくれるという和尚のところへ行ってみることにしました。 |
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黒島の伝説と民話
黒島に伝わる伝説や民話を紹介します。
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| いまから150年ほど前、黒島の南のはずれにある仲本村に、多良間真牛(たらまもうし)という青年がいました。 |
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西表島の伝説と民話
西表島に伝わる伝説や民話を紹介します。
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昔、ミルク神とサーカ神が隣り合った村に住んでいました。
ミルク神は、「たくさん働こう、そうすれば幸せになる。」といい、
サーカ神は、「働いて苦労するより、人の物を取ればいい。」
といっておりました。 |
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波照間島の伝説と民話
波照間島に伝わる伝説や民話を紹介します。
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昔、ミルク神とサーカ神が隣り合った村に住んでいました。
ミルク神は、「たくさん働こう、そうすれば幸せになる。」といい、
サーカ神は、「働いて苦労するより、人の物を取ればいい。」
といっておりました。 |
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与那国島の伝説と民話
与那国島に伝わる伝説や民話を紹介します。
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大昔、陸地を求めて遠い南の島から船を漕いでいる男がいました。
男は大海原の中で「どに」(大海原が盛り上がった小さな陸地)を発見し、大変喜びました... |
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| 残虐非道な久部良割(くぶらばり)を行なっても、島の人口は相変わらず減ることなく窮乏のどん底をあえいでいました。
ある日、島の按司(酋長)たちはこの状況を切り抜けるために会合を開きました。「久部良割をしても人口は一向に減らない、もっと厳しく人口制限をおこなうべきだ
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| 与那国の“よな”は、境界という意味です。すなわち与那国とは、古代琉球国の最西端に位置する絶海の孤島という意味をもっていました。
ですから、人口もわずかで、海鳥のいる島といわれているくらいでしたが、島民はこの島を南海の楽園にしようと考えました ... |
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| 十六世紀のはじめ頃、与那国島は、その当時女性の人口が圧倒的に多く、「女護ヶ島」といわれていましたが、人口を減らすための、“久部良割(くぶらばり)”や“人枡田(とんぐだ)”という残忍な人口制限が行なわれていました。この悪法を廃止させ、平和な島に蘇らせたのが女傑サンアイ・イソバでした... |
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| 与那国島の祖納(そない)集落に、高さ70メートルの隆起珊瑚の岩塊、ティンダバナがあります。
あるとき、久米島から中山王府への貢納船が荒天に遇い、与那国島に漂着しました。 一行は男一人、女一人、犬一匹でしたが、その犬はとても凶暴で男を食い殺してしまいました... |
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