とまた節

とまた節

繁盛節と同様、石垣島の崎枝村の目差(めざし)の役に任命された慶田城用舛が作詞・作曲したものだと言われています。
この歌を通して、村人たちが総出で役人たちを手厚く迎え入れた様子を窺い知ることができます。

繁盛節

繁盛節

石垣島の崎枝村の目差(めざし)の役に任命された慶田城用舛が作詞・作曲したものだと言われています。
村の人々の働きを褒め称え、地域の繁栄を願って唄った唄は、
今も祝いの席ではかかせない一曲になっています。

桃里節

桃里節

今回は「桃里節」を取り上げます。この歌は、とてもテンポがいい曲で、聞いていて楽しくなり、踊りたくなります。詠み人は誰なのか知られていません。

とぅばらーま

とぅばらーま

「トゥバラ」とは、「殿原(トノバラ)」の転訛で、高貴な方々、または男子の尊称です。「バラ」は複数を表す接尾語。毎年旧暦の8月15日の満月の二日前の「十三夜」に石垣市では「とぅばらーま大会」なる催しが夜の7時から開かれます。

月夜浜節

月夜浜節

この歌は、松茂姓七世、黒島当応(1723年~1790年)が石垣島の平得村の与人(村長に当たる役人)を努めている時に、新本家の祖が歌っていた「月夜浜ユンタ」を改作

目出度節(めでたいぶし)

目出度節(めでたいぶし)

この唄は1843年に宮良村で生まれました。当時、総横目兼与人(そうよこめけんゆんちゅ)であった大浜用登(おおはま ようと)という役人が結願祭を記念して作詞・作曲したものだと伝えられています。

蔵ぬぱな節

蔵ぬぱな節

この唄は別名「献上節」とも言われています。その昔、琉球国王、尚穆王(しょうぼくおう、1739年~1794年)の世代に宮古と八重山における海岸から蔵元政庁へ通じる道路に対して歌一首を献上

赤馬節

赤馬節

師番は自分の子供のように深い愛情を注ぎその仔馬を育てました。仔馬は実に堂々とした大型の気品の高い立派な名馬アカンマー(赤毛の馬)に成長しました。

鶴亀節(川平鶴亀節)

鶴亀節(川平鶴亀節)

人間の長寿を始め、家庭の繁栄、商売繁盛、無病息災、豊年豊作、五穀豊穣などなど。すべていいことがありますようにとの願いをこめられて作られた唄。当時の人々は、常に神に祈願し、感謝する生活をしていたことも窺い知る事ができると思います。 また、この歌は祝いの席では欠かすことのできない島唄となっています。

鷲の鳥節

鷲の鳥節

石垣島の繁華街に「あやぱにモール」と言うアーケードの商店街がありますが、 その名前の由来を御存知でしょうか?そのモールの中に塩谷商店(石垣市大川218番地)がありますが、その店の横に「鷲の鳥節」発祥の記念碑が建っています。