鷲の鳥節
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| 1. |
綾羽ば生らしょうり
アヤパニバ マラショウリ
ぶぃる羽ば産だしょうり
ビィルパニバ スダショウリ |
訳)
種々の模様の羽の雛を孵し
色とりどりの羽の雛を孵した |
| 2. |
正月ぬ朝
ションガズヌ ストゥムディ
元日ぬ朝ぱな
グワンニイツヌ アサパナ |
正月の早朝
元旦の朝端(朝まだき、早朝) |
| 3. |
東かい飛ぶぃつぃけ
アガルカイ トゥビィツゥケ 太陽ばかめ舞いつけ
ティダバカメ マイツゥケ |
東の空に飛んで行きなさい 朝日を浴びて飛んで行きなさい
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ここで唄われている鷲はもちろん八重山に生息するカンムリワシのことです。
石垣島と西表島の森林地域に生息するワシタカ類で特別天然記念物に指定されている鳥で、最近はその数が減り、200羽前後しか確認されておらず、絶滅が危惧されています。
野鳥の会の生態調査によると、このカンムリワシは春頃から巣作り産卵をし、雛が巣立つのは6月頃だと言われています。卵は一つしか産まず、一羽の雛を大切に育てるそうです。
そうだとすると「鷲ユンタ」や「鷲の鳥節」で唄われていることは事実と異なることになります。旧暦に当てはめてもカンムリワシが正月に巣立つようなことはないのです。
仲間サカイが創作したと言われる歌詞もあくまでも伝承によるものでありますし、記録として残っている訳ではありません。
では、どう解釈すればいいのでしょうか?「鷲ユンタ」や「鷲の鳥節」にはそれぞれの唄に囃子の部分がついており、
鷲の鳥ように がーゆーなー 鷲
バスヌトゥルゥヨウニ ガーユーナー バスィ
と唄われます。
この部分の解釈がいろいろ説があり、よく分からない部分でもあります。筆者としては、
鷲の鳥よう にがゆーなー 鷲
バスヌトゥルヨウ ニガユーナー バスィ
と本来意味をとる所が、節回しの都合で上記のように変わったのだとする説に賛同します。そうすると、意味は鷲の
鳥よ!(私は)願いますよ(あなた方が無事に飛び立つことを) 鷲よ!
となるのではないでしょうか?仲間サカイは自らの願いを鷲に託した形で、これからの人生が夢と希望に満ち溢れ、鷲の如く雄大に自由に展開されることを願っていたのではないでしょうか?その舞台をこれから年が明ける元旦に設定することにより、夢と希望の膨らみを最高潮にすることが可能になったのです。
サカイはその後長生きし、百一歳でこの世を去るまでに神秘的な霊感により神の託宣を受け、遠くの物が透視できたり、明和の大津波(1771年)まで予言したと言われています。
雄大ですがすがしく、優雅で荘重な唄に仕上がった「鷲の鳥節」は何度聞いても飽きる事がなく、歌えば歌うほど味が出てくる芸術的価値の高い島唄だと思われます。
ところで、「鷲ユンタ」は川平村で作られたとする説もあります。その説によると、仲間サカイは大浜村の豪族「オヤケアカハチ」によって殺された川平村の豪族「仲間満慶」の母親であったと言われています。
川平公園の中には「鷲ユンタ」の碑が今も建てられています。大川発祥説も川平発祥説もどちらも伝承ですから確かめることは今となっては不可能かもしれません。
前述の「あやぱにモール(モールは英語で商店街の意)」の「あやぱに」はもちろん「鷲の鳥節」の「綾羽ばまらしょうり・・・・」の「綾羽(あやぱに)」から来ています。また、最近では、八重山古典民謡・安室流などのコンクールで小学生の奨励賞に当たる賞を「あやぱに賞」と名づけています。教育委員会による「あやぱに学級」なるものまであります。
「あやぱに」はカンムリワシの幼鳥の羽模様からいろんなものを表す言葉へと発展していっています。
石垣島出身でボクシングの世界チャンピオンにまで登りつめた具志堅用高氏は現役ボクサー時代、「自分はカンムリワシになりたい」といい、カンムリワシを自分のトレードマークにしていました。まさに世界へ羽ばたくにはピッタリだったような気がします。
この春石垣島の八重山商工高校が選抜高校野球で見事に甲子園初出場を果たしました。彼ら高校球児の如く、八重山の若者達が夢と希望をもって、様々な分野で日本本土に、いや世界に活躍の場を求めて羽ばたいて行くことを願いって止みません。
カンムリワシは八重山の人々にとって「夢と希望の象徴」であり、「鷲の鳥節」を唄う事により、気持ちを新たにして欲しいものです。
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