繁盛節(はんじょうぶし)

御神崎

繁盛節(はんじょうぶし)は、1871年(明治四年)九月より石垣島の崎枝村の目差(めざし)の役に任命された慶田城用舛が作詞・作曲したものだと言われています。

では、早速歌を見ていきます。

no.
原歌
訳)
1.
だんじゅ豊まりる崎枝ぬ島や ヨーウネ
(ダンジュトゥユマリル サキーダヌ スマヨウ ウネ)

黄金岡ぃくさでぃ スリ
(クガニムルィ クサディ)

田ぶく前なし
(タブクマイナーシ)

(囃子)
イヤマシ 
ウヤキ ハンジョウ
マサル  ハンジョウ
カツィ マタ イヤマシ
まことに名高い崎枝村は


黄金の岡を背後にして


田んぼの集まりを前にして

2.
作てぃ実らしゃる稲刈ゆる人や
(ツィクティ ミヌラシャル イニカルフィトゥヤ)

若者ぬまぎり
(ワカムンヌ マギリ)

さらばさらば
(サラバ サラバ)

(囃子)
作って実った稲を刈る人は


若者全員で刈り終え


さあ、帰るところだ
3.
崎枝女童や水故がやゆら
(サキダミヤラビヤ ミズイユイヤユラ)

色姿うちゃてぃ
(イルシガタウチャティ)

なだる美らさ
(ナダルチュラサ)

(囃子)
崎枝村の女の子たちは水の為か

色艶もよく容姿もよく


おしとやかで美しい

詳しく見ていきます。目差役として、新任地に来た慶田城用舛が地元を褒め称えた歌だと思われます。歌詞の一番の「だんじゅ」は強調語で「まことに」を意味する言葉です。「まことに稔り多い崎枝村は素晴らしい」と褒め、村人たちに農作業をやる気にさせている姿が浮かばれます。役人が村人を上手に操る手法を充分に熟知した役人だったんでしょうね。慶田城目差はきっと。

歌詞の二番では、若者たちを褒めています。若者たちが総出で稲の刈り入れ作業をしているので、何と活気があり、村の発展が感じられる村だと賞賛しています。

歌詞の三番では、村の女の子たちがとても美しいと褒めています。このように褒められると、若い男女ばかりでなく、年寄りたちも含めて村全体が盛り上がりますね。

囃子の部分の「ウヤキ ハンジョウ」の「ウヤキ」は「金持ち」で、「ハンジョウ」はもちろん「繁盛」です。田畑も豊かに稔り、この崎枝村も「金持ちに、いや、穀物の蓄えが有り余り、生活に困らないような繁盛した村になりますように」との願いが込められて歌われているのでしょう。「マサル ハンジョウ」とは、「ますます繁盛しますように」ととれ、「カツ マタ」は「そして また来年も再来年も繁盛しますように」との意味だと思われます。

今の崎枝は、宮古島からの開拓移民が入植し、農業や牧畜に携わる人が散在しますが、この歌の頃の崎枝はかなり栄えていたのでしょうね。では、また。