気が付くと、タンカーの上。
『え?何?何が起きているの?どうして私は、運ばれているの?』
蘇る意識の中遠くで、救命士が私のバイタルを言っている。
『え?何?私、このまま死んじゃうの?どうして?
まだ、やりたいこといっぱいあるのに?そんなの、困る!!』
そう思った瞬間、意識が戻った。
と、『あれ?私のバックどこ?』真っ先に、気になった。
「すみません。緑のバック・緑のバックをお願いします」
思わず、とっさに訴えていた。
今思えば、すごく、現実的な私。
えらいぞ、私(^^)
偶然にも、昨夜星空ライブでご一緒した同業のIさんが、
私を見つけて救急車を呼んでくれたのだ。
診療所でも、手伝ってくれ、すごくお世話になってしまった。
意識はもどったものの、
人工呼吸器をつけないといけないといけないかしら?
というほど体内の酸素の量が少なく、
まだまだ、余談を許さない状態だった。
ラッキーなことに、演習中のヘリコプターが島の近くにいて、
処置を終えるとすぐに石垣島へ搬送された。
『まるで、Drコトーみたい!
でも、私はナースじゃなくて、患者だけど・・・。』
石垣空港からは、救急車で沖縄県立八重山病院へ搬送された。
そのころには、いくらか酸素の循環はよくなってきているものの、
依然として、吸入は欠かせず、しかも、砂まみれ。
ずいぶんERを汚してしまったはずだ(笑
意識はしっかりしていたので、
海上保安庁、警察と事情聴取を受けた。
まるで、事件?まさに、私にとっての大事件!!
「運がよかったね。見つけてくれたのは、
看護師さんだったそうですよ。
Sさんって、知りませんか?ヘリも近くを飛んでいたらしいね」
Sさん?恩人の連絡先を聞かなくちゃ。運命の人、命の恩人!
ICUに運ばれているのにもかかわらず、
入室前にシャワーを浴びる人は早々いないそうだ。
でも、私は・・・ウミガメのように、全身砂まみれ〜♪
まずは、砂を落として・・・。ちょっとさっぱり。
その日日勤だったS.Rさんと運命の出会いを果たすことになる。
時間100mlの点滴、初めてのオムツ。
おトイレ行きたい!でも、動けない。
オムツに?えー?・・・出来ない。出来ない!!
尿意はあるのに、
意識がはっきりした成人女性が
容易にオムツに排泄できるはずはない。
コールを押して、生まれて初めての床上排泄。
Rさんのステキな笑顔に、
緊張感は解されて無事に終えることができました。ホッ。
お昼からは、若い男性看護師が担当になり、
一番にお願いしたのは、安静度の確認。
『このままだったら、
また、ベットの上でおトイレしなきゃいけなくなるわぁー。
なんとかして、トイレまでいけるようにしなきゃ。
私だって、看護師なんだもの〜自分でも出来るはず。
そして、パンツを穿きたい。
オムツはいやよー。だって、蒸れるんですもの〜』
直ぐに安静度の確認が行われ、トイレ歩行許可がおりた。
トイレに行くときは、
点滴、酸素ボンベ、モニターを首から下げて、
あっちこっちにラインだらけ。
落ち着いて、トイレにも行けない。困った・・・。
2度目からは、自分でモニターの数字をチェックするからといって、
酸素の携帯は許してもらった。
エヘヘ。だって、私看護師なんですもの♪
酸素吸入が途切れると、
面白いように体内の酸素の値が下がっていく。
循環が正常になるのはまだまだ先。
その日の夕方、あたりが暗くなったころに、
一人の女性が見舞いに来てくれた。
この人こそ、紛れもない命の恩人「Iさん」。
二人は抱き合うようにして、泣いた。
「貴女だったの?私を助けてくれたのは・・・。
有り難う!命の恩人だわ。」
「元気そうでよかった。
今だから言えるけれど、最初見つけたときは、
駄目かと思ったもの。全身蒼白で・・・。
よく見たら指輪が見えて、
こんな再会いやだ!とおもった。」
彼女は、言った。
旅行前に購入してずっとはめていたブルーのガラスの指輪。
この指輪のおかげで、助かったのかもしれない。
ありがとう。
一晩で何度、トイレに通ったのだろう?
ほとんど眠れなかったけれど、
翌朝には循環も大分良好になり、
朝食の後は、酸素も点滴もOFFになった。
すっかり元気になった私。
ICUの中で、お湯をもらい、大好きなコーヒーを煎れた。
もう、最高!生きているって、こんな感じ?ちょっと大げさだけど(笑
お昼ごろには、大部屋へ。
Rさんは、その日、日勤で何かと世話をしてくれた。
同室のおばぁ達との会話も楽しく、いろいろな病気を抱えながら、
病気に則していろいろな規制を受けているはずなのに、
見事に守らないおばぁ達の実態は、おもしろかった。
こうして、二泊3日の入院生活を無事に終えることができた。

病院食:朝食 |

病院食:昼食 |
命の尊さ、看護師の仕事の素晴らしさを改めて実感する、
またとない機会でした。
そして、命を救ってくれたこの島で、
お年寄りのために働きたいと真剣に思ったのだった。
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