明和の大津波

震源は、北緯24.0度 東経124.3度 と推定


地震による被害は少なく、ほとんどが津波による溺死等であった。 島の人口が集中する南部地区に多く被害が及んだが、蔵元、寺、御嶽や家屋も流され、生き残った人達は、高台に非難し、遺体の収容も負傷者の救助もできずにいた。
八重山諸島全体で見ると、人口29442人に対し、溺死者は9209人。
これほど、明細な資料が残っているのは、当時琉球では、人頭税があり、住民の数を厳密に記録していたためである。
津波の起こった旧暦の3月10日は、年貢の搬入期にあたり、周辺の集落及び島々から、島の南部に多くの人が集まっていた。
島自体の被害は少なくても、石垣島に来ていて、被害にあった人も少なくない。
津波で多くの船が使えなくなってしまったため、首里にある琉球王府への情報伝達も遅れ、八重山へ役人が派遣されたのは津波発生から約2ヵ月後と大変遅れてしまった。
津波によって、冠水した田畑は疲弊し、家畜等の死骸から疫病やマラリアなどの伝染病が流行。
津波から約100年後の明治には人口は、わずか10000人程度にまで減少したと言われている。

 大波之時各村之形行書 (おおなみのときかくむらのなりゆきしょ)
大波揚候次第(おおなみあがりそうろうしだい)
一、八重山島之儀惣頭男女弐万八千九百九拾弐人罷居候処乾隆三
十六年三月十日辛亥五ッ時分大地震有之右地震相止則東方鳴神
ノ様轟き間モ無ク外ノ瀬迄潮干所々 潮群立右潮一ツ打合以之
外東北東南ニ大波黒雲ノ様 翻 立一時ニ村々へ三度迄寄揚潮
揚高貳拾丈 或 貳拾五・六丈 或 貳・参丈 沖ノ石陸へ寄
揚陸ノ石並大木根乍被引流石垣 登野城 大川 新川 四カ村
宮鳥御嶽前並 坂下り東西村長通被引流蔵元 並 役座 役座

これは、琉球王府に提出された『大波乃時各村之形行書』である。

一方、竹富島は、平坦な島なのにもかかわらず、被害にあった人は、その日石垣島へ行っていた27名のみの被害となる。
島の一部は冠水したものの、家屋等の被害も無かった。島の東の海にある大きな珊瑚礁のおかげで被害が最小限に収まったといわれている。
マングローブも含めて、自然の仕組みがそのまま防災に役立つことは多い。
また、こんな話が残っている。

 石垣市大川の仲桝家の祖先は、信仰心があつく大石垣御嶽(おおいしがきうたき)を信じていた。
ある日、「津波が来るから用心しなさい」とお告げがあった。早く非難をしなければと役人に報告したところ「これは大変だ!」と、住民に非難を呼びかけ非難した。しかし、そのときは何も起こらず「世間を騒がせた」として、牢屋に入れられてしまった。
そして、竹富町の小浜島に島流しが決まった。
島へ行く前に大石垣御嶽に「今日、島へ行くことになりました」と、拝みにいくと、さらに神様から「島に着いたら港をお払いしなさい」とお告げがあった。
小浜島に着くと信仰心のあつい仲桝の祖先は、お告げどおりに港をお払いした。
まもなく、予言どおりに石垣島に大津波が押し寄せて、石垣島は壊滅状態になったが、神の予言どおりに港をお払いした小浜島は、津波の被害も少なく無事だったということです。

このほか、津波後多くの民話が生まれている。
「星野の人魚伝説」などもその一つです。



階段の上には、拝所がある。


『石垣市大浜 崎原公園内 津波大石』

高さ6m幅12mの琉球石灰岩の岩塊。
重さは推定で500~600tといわれている。

ただし、この岩のサンゴ化石の炭素14年代は
2000~3000年前を示す。

このことから、明和の大津波以前にサンゴ礁の
一部が剥がれ転石となり、その後津波で現在の
場所に移動してきたと考えられる。


石垣市街地より国道390号線を宮良方面へ
右手に、大浜郵便局をすぎ、右手に公民館
が見えたら、公民館前を右折してください。
小学校の隣、崎原公園に津波大石はあります。
表札などはありません。


 海岸で地震の揺れを感じたら・・・?津波情報が発令されたら?

1.津波の速さ
*海の水深が浅くなればなるほど、津波の速さは遅くなる
*陸上に遡上した津波は、人が全速力で走る程の速さとなる
2.津波の波長
*津波の波長は約10kmと、非常に長い
3.津波の高さ
*水深が浅くなると、津波の高さは急激に高くなる(遠浅の海岸では段波状になることもある)
*V字型の湾では、津波の高さが急激に高くなる
4.海岸で地震の揺れを感じたら?
*ただちに高台等安全な場所に避難
5.津波注意報、警報が発令されたら
*ただちに高台等安全な場所に避難

 津波避難の留意事項

1.我が身の安全を真っ先に考える
2.高台までの避難と、より高いところへの避難
3.車による避難の原則禁止(渋滞に巻き込まれ、災害にあうことが想定される)
4.財産の保全や持ち出しはあきらめること
5.堅い物(岩場や堤防など)からできるだけ離れる

石垣島では毎年4月24日石垣市宮良地区にあるタフナー原にある明和大津波遭難者慰霊之塔で、
明和大津波遭難者慰霊祭が行われている。


参考文献:
牧野 清(1968) 「八重山の明和大津波」
加藤 祐三(1986) 「八重山地震津波」
琉球大学理学部 中村衛研究室  http://seis.sci.u-ryukyu.ac.jp/