女酋長サンアイ・イソバ

十六世紀のはじめ頃、与那国島は、その当時女性の人口が圧倒的に多く、「女護ヶ島」といわれていましたが、
人口を減らすための、"久部良割(くぶらばり)"や"人枡田(とんぐだ)"という残忍な人口制限が行なわれていました。
この悪法を廃止させ、平和な島に蘇らせたのが女傑サンアイ・イソバでした。
イソバは身の丈180センチ以上もある偉丈夫で、知勇兼備の女傑でした。
彼女には4人の男兄弟がおり、自らは島中村で、弟たちは浦野、ヤデク、与那原に、それぞれ按司(酋長)として君臨していましたが、その他の村にも酋長たちがいて、
互いに威勢を張っていました。
ある日のこと、それは、あの残忍非道な人枡田のドラが鳴る日でした。
島人たちは、ドラや法螺貝の合図とともに、人枡田めざしていっせいになだれ込んできます。
やがて人枡田から人があふれ出て、蛮刀の餌食になろうとしていたとき、イソバ兄弟とその部下たちは、イソバの号令のもとに人枡田を監督している酋長たち目がけて襲いかかりました。
この不意打ちにドキモを抜かれた酋長たちはなすすべもなくことごとく討ち取られてしまいました。
島人たちは何事かと、ポカンとしているところで、イソバはみなにこう呼びかけました。
「みなさん、わたしは、島を救うために今日のこの挙兵に出ました。人枡田や久部良割は残忍きわまる悪法です。今日限りでこの蛮風をやめて明るい平和な島にしましょう。」
これを聞いて、一同は、はじめてイソバが救い主であることを知りました。
こうして悪法がこの島から消え、イソバを先頭に、島民一丸となって与那国建設に励むのでした。