クブラバリ

与那国の"よな"は、境界という意味です。すなわち与那国とは、古代琉球国の最西端に位置する絶海の孤島という意味をもっていました。

ですから、人口もわずかで、海鳥のいる島といわれているくらいでしたが、島民はこの島を南海の楽園にしようと考えました。

そのためには、人がいっぱいいなくてなはりません。こうして「産めよ!増やせよ!」の風潮が高まっていきました。

15世紀の初頭には、島の人口は三万人余にも膨れ上がったそうです。
特に女性が多く1対6の比率で男性をはるかに圧倒していました。

御獄参りで願掛けをした神人や女たちは、「島の繁栄だ」として喜び合いました。

ところが、これが、やがて残虐な血祭りの時代を迎えるとは誰も予想しませんでした。

人口が増えると今度はだんだんと食料が不足していきました。
人口は増える。食料はない。島の食料危機は日増しにつのり、やがて血を呼ぶいざこざがあちらこちらで起き始めました。

ある日、島の按司(酋長)たちは、もうどうしようもないこの状況を切り抜けるために、会合を開きました。

会合の最後で一人の按司が「この島には女が多すぎる。食料が不足するのは、おんながどんどん子どもを産むからだ。だから今後は女に子供を産ませないようにしよう。」
といいだしました。

みんなはこの意見に引きずられました。
「それは、どういう方法をとればいいのか?」
ということになると、みんな答えに窮します。

「そうだ、妊婦だ!妊婦を集めてあの絶壁の久部良割(くぶらばり)を飛び越させよう。あの裂け目を跳び越した強い女だけ、子供を産むことを許そうではないか。」

と、また一人の按司、一同たちまちにこの案に賛同しました。

こうしてあの残虐非道な人減らしを目的とした久部良割越えが実施されることになったのです。