とぅばらーま
今回は八重山民謡の中でも最高の叙情歌「とぅばらーま」をとりあげます。
毎年旧暦の8月15日の満月の二日前の「十三夜」に石垣市では「とぅばらーま大会」なる催しが夜の7時から開かれます。
夜空の十三夜の美しい月を背景に色々な歌詞の「とぅばらーま」の歌唱力を競うイベントです。歌唱の部とは別に作詞の部もあり、毎年、最優秀歌詞一点、優秀歌詞二点、佳作一点の合計四点の歌詞が誕生しています。
それでは、古典的な「とぅばらーま」から解説していきます。元来の「とぅばらーま」は、男女の恋歌です。
◎ なかどー みちぃ から ななけーら かよーん け
仲道 路 を 七回 通った のに
なかすぃじぃ かぬしゃーま そーだん ぬ ならぬ
仲筋 乙女子は 相談 が できない
「トゥバラ」とは、「殿原(トノバラ)」の転訛で、高貴な方々、または男子の尊称です。「バラ」は複数を表す接尾語。この「トノバラ」の「ノ」が省かれ「トゥバラ」となり、それに長母音と愛称を表す「マ」をつけたかたちです。ですから、意味は「可愛い男の子たち、恋しき殿方」になります。
「トゥバラーマ」の題名は、この唄の囃子の部分からとったものです。「イラ、ンゾシーヌ、トゥバラーマ ヨウ」と唄われる囃子があり、「ああ、恋しき殿方様よ」と言う意味です。
仲道路(なかどーみち)は、石垣市にある士族の屋敷「宮良殿内(みやらどぅんち)」前を東西に走り、平得、真栄里へ通ずる道で、「なかどー原」を通るのでこの名称がつけられました。
昔、石垣島の真栄里村の仲筋家にカナシという名の美しい娘がいました。石垣の士族の青年達はこの絶世の美人を我が物としようと競い始めました。夜になると、仲筋家の福木の木陰に隠れてカナシが出てくるのを待ちあぐんでいました。毎日数人の男達が隠れているので、彼女は怖くなり、両親の間に寝ていました。
手を替え品を替え、何とかカナシと会って恋のささやきをしたいと、燃える思いで、幾夜か、数ヶ月かか通ってみたが、とうとう会えずじまいだった。
夜明け頃、待ちくたびれて帰る時、無念の思い、やるせない失恋の胸中から、「仲道路(ナカドーミツ)から七けら通ゆけ、仲筋カヌシャーマ、相談ぬならぬ」と唄ったのがトゥバラーマの始まりです。意味は「仲道路から数十回もかよったが、仲筋家のカナシ美人は一度も顔を見せてくれなかった」ということです。それで、囃子の部分で、「ああ、可哀想な恋しき殿方たちよ」と歌い返される訳です。
簡単にいうと、美人の娘に多くの男達が夜這いかけたが、ことごとく失敗したということです。何か、源氏物語の世界を思わせませんか?当時は男女が、昼間堂々と手をつないだり、愛を語らう事はなかったようですね。
トゥバラーマは上記のような恋愛歌が元ですが、今では数多くの歌詞が創作され、家族愛、自然の美しさを詠んだ歌、郷愁を詠んだ歌などに発展していっています。思いを歌に込め、訴えかけるように歌う叙情歌、それが「とぅばらーま」となりました。
では、他に代表的な「とぅばらーま」を紹介します。
◎ つぅきぃ ぬ かいしゃ や とぅかみぃーか つぃきぃ
月 の 美しい のは 十日 三日の 月
みやらび かいしゃ や とぅーななつぃ ぐる
乙女の 美しい のは 十七歳の 頃
◎ つぃきぃ とぅ てぃだ とぅ や ゆぬ みちぃ とぅーりょーる
月 と 太陽 と は 同じ 道 を 通られる
うら とぅ ばん とぅん ぴぃとぅみちぃ ありおーら
貴方 と 私 とも 1つ道で ありますように
◎ やま みりば やいま ゆ うむいいだし
山を 見れば 八重山 を 思い出し
うみ みりば まりじぃま うむいいだし
海を 見れば 生まれ島を 思い出す
今年は9月23日(日)に真栄里公園で午後7時から「とぅばらーま」大会が開催されます。感動的な歌声を是非味わってみてください。